玉造ロンリーワン

23歳 アパレル奴隷からインターネット土方に転職

天赦日・一粒万倍日・新しいことを始める日

2020年1月22日

今日はとても縁起のいい日らしい。

 

天赦日(てんしゃにち)・一粒万倍日(ひとつぶまんばいにち)というらしく

何事を始めるにも良いらしくこれ見よがしにブログを書き始めることにした。

 

西加奈子さんの「サラバ!」を読んで行動バイヴス(大事!)が上がっているし

物事何かと理由をつけないと動けない性分なのだ。

 

年末に仕事を辞めて1月7日から転職サービスのお世話になっているが進捗らしい進捗はまだない。

 

記憶を整理するためにも辞めた経緯をまとめてみる。

 

仕事は大学卒業後、1ヶ月と少し経ってやっと決まったアパレルの販売である。

 

大学3回生(関西特有らしい)まではふわっとしたレールに乗って、4回生になり就活に取り掛かったがなんとなくスーツを着る仕事向いてなさそうとか、よくわからないもの作って何になるんだとか考えながら(失礼)就活ごっこ(スーパー失礼)していたがために4回生の12月になっても仕事が決まらなかった。

 

そんな時に協力してくれたのが地元でお世話になっていた美容師さんでファッションが好きだった僕にセレクトショップの店長さんを紹介してもらい、アパレル業界について教えてもらった。

そこで調子づいた僕は何社か応募して晴れて6月からセレクトショップで働くことになったのだ。(2019年の1月から9月くらいまでが自分の人生史上マックスの行動力だったかもしれない)

 

6月から11月末までが今までで一番濃い経験をしただろう。何よりボーっと生きてきた自分にとって最も自分の22年間の行いを反芻し、追い込み、追い込まれた。

何にも世間のことを知らなかったし他人のことを考えているつもりでもそれ以上に考えているひとが上にいて足手まといになっていることだけに過敏になっていた。

11月末に上司と面談して辞めるように言われて、楽になったことより悔しくてたまらなかったことが自分でも意外だった。

今では自分に向いてなかったと思えるようになったがやりたくて挑戦したのに夢が破れてどうしようもなく悔しかった。

 

落ち着いてから、自分が好きだったのはモノ自体であってそれを媒介としたコミュニケーション・ビジネスは得意でなかったなと思えるようになったし

同時に彼らのプロフェッショナル精神(妥協をしない)・DIYなところ・人に対するアンテナを張る量は本当に尊敬している。

 

そして今、またボサッと生きている自分は周りの人間(これからならないといけないが他人事)が全員こんなに悩んで仕事をしているのだろうか、と人生において避けられない仕事(国民の義務)に対して付き合い方を考えては面倒臭くなっている。

 

このブログを機に何かまたアクションを起こさないといけない。