自分の服遍歴
どうも。
暇なので久々にブログ書いてみます。
書くことって言ったらやっぱ服が一番たくさん書ける気がするのでノリノリで自分語りしてみましょう! #マインドがダサい
ヒストリー
まず、自分の服歴について。
大体三つくらいに分けれる気がする。
1. 中学生のデビュー期
2.黒船、Men's FUDGE
3.POPEYEと古着、プレッピー
それでは順をおって見てみましょう。
1.中学2年ファッションに目覚める。
よりによって人間が一番自意識がバグりやすい時に目覚めていますね。
目覚めるまでは私、相当酷いもんでした。
小学生の時は親が拘っていたのでいいもの着ていたと思います。
今思い返すと気に入っていたのがチャンピオンのリバースのジップパーカーで良い茄子紺だった気がする。
けどアホなので友達とかみんな”Bad Boy”のシャカシャカのパンツとかプーマのジャージ履いてるのがうらやましかった。(アホ)
で、中学生の時、母親が大怪我して入院しちゃってお見舞いに行くことになったんですよ。
その時に母親を喜ばせるために「こういうのオシャレやから着いや」って言われていた服を着てお見舞いに行ったらめっちゃ喜ばれていい気になったのが始まりでした。
その時はノースフェイスのマウンテンパーカーにグラミチとか古着のハーフパンツにノルディック柄のメンズレギンスとkeenのスニーカーか革靴を合わせるっていう定番のスタイルがありました。
マジにイキっていたので学校終わりの塾も着替えてこんな感じで行ってましたから相当自意識過剰でしたでしょうね。懐かしい。
あと地元のショップにブルーブルーとハリウッドランチマーケットがたくさん置いてて憧れていました。高校生になって神戸に初めて行った時、ブルーブルー神戸店にいって感動したのを覚えています。神戸はどこも店のディスプレイが港町感が可愛いんですよね〜。
2.黒船、Men's FUDGE
高校生になり、アウトドア服大好きで色味もガチャガチャしたポップなものばかり集めていた僕にとって衝撃的だったのがFUDGEの登場でした。
まず、ビジュアルが衝撃だったんです。
モデルが全員ヒョロヒョロの外国人!黒スキニー!みんな靴下が白!(それまで白いソックスはオタクの履くものでした、マジで)
ユニクロにダッシュして黒スキニーと白靴下買ってもらったのを覚えています。
↑2014年筆者。美脚。
ダントン(クソ流行った)のショップコートにオーシバルのボーダー、スキニーにNB 996(クソ流行った)かマーチン(大学生になってからクソ流行った)がド定番でしたね。
とにかくB shopに通いまくって親にねだっていた。(バイトの発想はなかった)
3.ネペンテスとPOPEYEと古着、プレッピー
大学生〜現在は完全にファッション迷子ですね。いろんな系統買ってフワフワしてます。
大学生になってから雑誌をポパイに変えました。
その時はディレクションがスタイリストの長谷川昭雄さんでオーバーサイズの90’sな感じのアメリカ古着だけどただのダボダボじゃなくて清潔感のある感じにグッと心を持っていかれました。
この二冊はバイブルです。気になったら探してみてね。
あとはネペンテス。
最近俳優の滝藤さん、光石さん、あと菅田将暉とかあいみょんがよく着てるブランドのあるショップ。(二人のスタイリングをよくしているのがhattori masatakaさん)
毒毒しいビジュアル、ヒッピー、サイケや古着、和服からのサンプリングが面白くてハマっていました。しかし似合わなかったので結構手放しましたが!!あーー菅田将暉になりてーー。
今でも読み返したくなるのがEngineered Garmentsデザイナー鈴木大器さんのブログとネペンテスブランドのスタイリングシリーズ”REMIX”の2017年秋冬のやつ
こんな感じで趣向がとっ散らかってきて自分のおかねで買えるのをいいことに失敗しまくってます。今度買えなかった服と買って失敗したもののブログ書こうと思う。
自分のキャラ、雰囲気と体型の事考えて自分の好みとすり合わせてスタイリングを考えるってマジに大変だよね、なんでこんなことしてんだろ。
虚無になったのでここら辺で終わっておきまーす!
スタイリングインスタ @amumauma にあげているのでみてみてね!!
あと興味があったら働いていた頃のインスタやブログ探してみてください!
あの頃が一番服装に統一感があるはず!
気が向いたら服装を考える時に何を意識しているかも書いてみるわ!!!
終わり!!!!!!!
天赦日・一粒万倍日・新しいことを始める日
2020年1月22日
今日はとても縁起のいい日らしい。
天赦日(てんしゃにち)・一粒万倍日(ひとつぶまんばいにち)というらしく
何事を始めるにも良いらしくこれ見よがしにブログを書き始めることにした。
西加奈子さんの「サラバ!」を読んで行動バイヴス(大事!)が上がっているし
物事何かと理由をつけないと動けない性分なのだ。
年末に仕事を辞めて1月7日から転職サービスのお世話になっているが進捗らしい進捗はまだない。
記憶を整理するためにも辞めた経緯をまとめてみる。
仕事は大学卒業後、1ヶ月と少し経ってやっと決まったアパレルの販売である。
大学3回生(関西特有らしい)まではふわっとしたレールに乗って、4回生になり就活に取り掛かったがなんとなくスーツを着る仕事向いてなさそうとか、よくわからないもの作って何になるんだとか考えながら(失礼)就活ごっこ(スーパー失礼)していたがために4回生の12月になっても仕事が決まらなかった。
そんな時に協力してくれたのが地元でお世話になっていた美容師さんでファッションが好きだった僕にセレクトショップの店長さんを紹介してもらい、アパレル業界について教えてもらった。
そこで調子づいた僕は何社か応募して晴れて6月からセレクトショップで働くことになったのだ。(2019年の1月から9月くらいまでが自分の人生史上マックスの行動力だったかもしれない)
6月から11月末までが今までで一番濃い経験をしただろう。何よりボーっと生きてきた自分にとって最も自分の22年間の行いを反芻し、追い込み、追い込まれた。
何にも世間のことを知らなかったし他人のことを考えているつもりでもそれ以上に考えているひとが上にいて足手まといになっていることだけに過敏になっていた。
11月末に上司と面談して辞めるように言われて、楽になったことより悔しくてたまらなかったことが自分でも意外だった。
今では自分に向いてなかったと思えるようになったがやりたくて挑戦したのに夢が破れてどうしようもなく悔しかった。
落ち着いてから、自分が好きだったのはモノ自体であってそれを媒介としたコミュニケーション・ビジネスは得意でなかったなと思えるようになったし
同時に彼らのプロフェッショナル精神(妥協をしない)・DIYなところ・人に対するアンテナを張る量は本当に尊敬している。
そして今、またボサッと生きている自分は周りの人間(これからならないといけないが他人事)が全員こんなに悩んで仕事をしているのだろうか、と人生において避けられない仕事(国民の義務)に対して付き合い方を考えては面倒臭くなっている。
このブログを機に何かまたアクションを起こさないといけない。